取材ノート
湘南小説取材ノート
小説を書くために、鎌倉、江の島を中心に、様々な場所を探訪しました。
物語の歴史的背景、社会的背景を捕えて小説の舞台を構築するために、様々な書物、資料を読みました。
報道記事、ニュースを見て様々なことを感じました。
それらを小説に反映する前の、生の記事を、ここでご紹介します。
まだ未整理の取材メモがありますが、順次整理して追加してゆきます。
鎌倉の原風景
鎌倉の街中にある神社仏閣のほとんど全ては、戦乱や大火で焼失してしまい、近世になって建て替えられたものばかりです。中世鎌倉の姿は、そこにはありません。しかし、鎌倉を囲む三方の山には切通しや、やぐらがあり、そこには中世の痕跡が、ひっそりと残っています。小説で鎌倉を描こうとしてしている私は、そこを訪ねることから始めました。
鎌倉の切通し
稲村ヶ崎の謎の洞窟
大波のサーフィン大会として有名な稲村クラシックも開催される鎌倉稲村ヶ崎。私の散歩コースでもあるのですが、岬の先端に謎の洞窟があります。ただの海食洞かと思っていたのですが、調べてみると……。
稲村ヶ崎の謎の洞窟
海から見た稲村ヶ崎-ドローン空撮-
源実朝の実像を追って
源実朝といえば『金槐和歌集』で有名な歌人としての評価があります。青白くひ弱な文学青年。鎌倉幕府第三代将軍となったものの源氏の血統を途絶えさせたぼんぼん殿様。私はそんな従来の実朝像に疑問を抱きました。『吾妻鏡』や『愚管抄』をひも解きながら、私の実朝の実像を追う旅(取材活動)が始まりました。
源実朝の謎(1) これが実朝の墓?
源実朝の謎(2) 実朝暗殺事件の影に蠢くもの
源実朝の謎(3) 真相の解明は……
そして、源実朝の実像が朧げに見え始めたとき、私は彼の人生と暗殺の真相を解き明かす小説『春を忘るな』を書く決心をしました。
源実朝暗殺の謎を解く小説『春を忘るな』
当サイトのブログで全20回の連載をしたところ、大変な反響をいただきました。というのも、連載終了直後からNHK大河ドラマで「鎌倉殿の13人」の放送が始まったからです。はい、もちろんそれを見すえての連載開始でした(笑)
小説『春を全忘るな』の連載を終えて
連載を終えて、源実朝暗殺の謎と解き明かしを整理しました。
実朝の唐船は旅立つことができたのか? ―『春を忘るな』の周辺(8)―
この記事は『春を忘るな』のネタバレになってしまいますが、実朝が建造した唐船が、遠浅の鎌倉の海でも、十分に出航できたことを、私なりの科学的根拠に基づいて検証したものです。「鎌倉は遠浅のため、唐船は出航できなかった」説の方には、ぜひご覧いただきたい記事です。(でも『春を忘るな』をまだ読む前の方にはお勧めしません)
なぜ人は戦争をするのか?
そんな自問を繰り返し、鎌倉時代の戦(いくさ)から太平洋戦争までを視野に、さまざまな取材(調査)をしてきました。
人間魚雷「回天」の訓練基地が山口県の大津島にあったことを知り、取材旅行に行ってきました。
その島で、私は南の海に散っていった若者たちの声をたしかに聴いたのです。そして、彼らのことを、彼らに成りかわって書かねばならないと心に決めました。『ひぐらしの啼く時』は、そうして出来上がった作品です。
『ひぐらしの啼く時』を書くにいたるまで
『ひぐらしの啼く時』の舞台について
『ひぐらしの啼く時』は鎌倉時代、太平洋戦争時代、現代という時代を越えて織りなす物語ですが、以下はその舞台をご紹介した連載記事です。
『ひぐらしの啼く時』の舞台(1)― 江ノ電鎌倉駅 ―
物語は江ノ電鎌倉駅から始まります。
『ひぐらしの啼く時』の舞台(2)― 和田塚 ―
江ノ電の和田塚駅のすぐそばに和田塚があります。ここは鎌倉時代の和田の乱と現代の若者たちが、時を超えて交錯する場所です。
『ひぐらしの啼く時』の舞台(3)― 極楽寺 ―
極楽寺は、数々のドラマ、映画で使われた場所ですが、『ひぐらしの啼く時』でも重要な舞台です。
『ひぐらしの啼く時』の舞台(4)― 妙本寺 ―
妙本寺は「鎌倉殿の13人」で比企の乱の舞台となりましたが、『ひぐらしの啼く時』にも登場します。
『ひぐらしの啼く時』の舞台(5)― 腹切りやぐら ―
鎌倉「腹切りやぐら」は北条氏終焉の地。14代執権・北条高時、16代執権・北条守時ら北条氏一族と、その家臣870余名が総自決、つまり一斉に切腹した場所と伝われ、そこは今でも……。
『ひぐらしの啼く時』の舞台(6)― 杉本寺と杉本城 ―
鎌倉最古のお寺と云われている杉本寺も鎌倉時代、太平洋戦争時代、現代のそれぞれのシーンに登場して、各時代の主人公たちがスピリチュアルに出会う? 場所なのです。
『ひぐらしの啼く時』の舞台(7)― 朝夷奈切通し ―
朝夷奈三郎は和田義盛の三男です。幕府の敵とされ北条氏に討たれた士族の中心人物の名が、鎌倉時代から現代まで、鎌倉の主要な道(朝夷奈切通し)の名に残っているのはなぜなのか、取材を通して考えてみました。(その結論は『ひぐらしの啼く時』に描き込んであります)
終戦の日に想うこと
2022年終戦の日
この年の「終戦の日」は、私にとって(おそらく多くの人にとっても)いつもの年とは違いました。
ーー ロシアがウクライナに侵攻した年の「終戦の日」に想ったこと ーー
2024年終戦の日
また同じことを繰り返すのか?
一歩立ち止まって考えてみる
記録は残す。記憶、想いは伝え続けるしかない。
ウクライナ情勢について思うこと
「戦争は起こしてはならない」と願っている、その私の目の前で、現実に起きている戦争。苦渋の想いで綴りました。
(当記事を書いたのは2022年3月~6月です。当時と現在では情勢も変わり、私自身必ずしも同じ考え方とは限らないことをご理解いただきたいと思います)
ウクライナ情勢に想うこと(1) – 明日の神話 –
ウクライナ情勢に想うこと(2) – ゼレンスキー国会演説 –
ウクライナ情勢に想うこと(3) – 戦争犯罪という言葉への違和感 –
ウクライナ情勢に想うこと(4) – 河瀨直美「ロシアを悪者にするのは簡単」 –
ウクライナ情勢に想うこと(5) – 空気の変化 –
ウクライナ情勢に想うこと(6) – 「国を守る」ということ –
3.11に想うこと
菅総理の「脱炭素社会の実現を目指す」発言に思うこと
菅総理が、そう言った瞬間に、私は「やっぱりな」と思いました。
未来に向けて、本当に必要なエネルギーを考える
エネルギー問題は、既存の利権と強固に結びついています。それぞれの保身から抜け出し、我々の未来の子孫たちにとって、本当に最適なエネルギーを考えなければなりません。処分できない使用済み核燃料を、ただ付け焼刃的に貯蔵庫に押し込み、それがどんどん増えてゆく。まるで掃除の出来ない人のゴミ屋敷のようです。そのうち処分方法も見つかるだろうという根拠のない理屈で、未来の子孫たちに問題先送りしていて良いのか? という端的な想いです。
そして『金星が見える時』を書こうと思った
今のままで本当に良いのか? 皆さんとともに考えたい、という気持ちで書きました。
ただやみくもに「原発反対」「自然エネルギー(再生可能エネルギー)」を唱えるつもりはありません。
新たなエネルギーを提案するとともに、今、なぜそれが受け入れられないかについても考察しました。
江の島今昔
江の島ヨットハーバーはどのようにして出来たか?
湘南の江の島ヨットハーバーはお洒落で素敵な場所です。でも、それが作られた背景には壮絶な歴史がありました。その光と翳を描こうと思うにいたるまでを記事にしました。そして書きあげた小説が『オリンポスの陰翳』です。
江ノ島に架ける橋
かつて江ノ島と片瀬海岸の間に橋はありませんでした。江ノ島は海に浮かぶ正真正銘の「島」だったのです。そこに橋が架けられてゆく歴史を取材しました。貴重な古写真もお楽しみください。
Once upon a time in 江ノ島
湘南江の島は、じつにノスタルジックな世界です!
私は、この江の島を小説世界に描きこみたいと思いました。
以下の記事は、そのノスタルジックな風景のアルバムです。
Once upon a time in 江ノ島(1)弁天橋おでん屋台の灯
Once upon a time in 江ノ島(2)参道ノスタルジー
Once upon a time in 江ノ島(3)尖ってて何が悪い!
あのラフカディオ・ハーンが鎌倉、江の島を訪れていた
後の小泉八雲、ラフカディオ・ハーンが鎌倉・江の島を訪れていました。
それを知った日から、彼の著作をはじめさまざまな資料を読みました。そして、彼が松江に行く前、江の島への旅を終えたときの彼の想いを知った時、彼の人生を小説に書こうと決めました。
ラフカディオ・ハーンは、なぜ日本人、小泉八雲になったのか?
まだ未整理のメモもありますが、今はここまで。
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